今年になってジャニス・ジョプリンの ”恋人” と言われたペギー・カゼルタ(Peggy Caserta)のインタビューが何本かYouTubeにアップされている。
この動画の冒頭、Woodstockでジャニスと仲良くしている女性がペギーである。
彼女はLGBTsだがジャニスはヘテロなので実際には性的関係はなかったと思うが、仲の良い女性同士として多くの時間を過ごしていたらしい。
で、このペギーだが音楽というよりヒッピーカルチャーそのものにおいて結構凄い人だった。
1965年、彼女が24歳の時にサンフランシスコのヘイト・アシュベリーに「Mnasidika(ナシデカ)」というブティックをオープンした。
この店はデッドやジャニスらが贔屓のブティックとなり、客のジャニスとはその後親友となる。デッドはこの店の前でプロモーション写真を撮ったりしていて、ヘイト・アシュベリーのシンボル的存在になっていく。
その後のパンクにおける「Let It Rock」や「Sex」と同じような位置付けと考えれば良いのかもしれない。
ちなみにこの店のあった建物は歴史遺産として当時のままに改装され今もヘイト・アシュベリーに残っている。
そしてこのMnasidika時代に彼女が ”発見” したのがベルボトムのジーンズである。
店の客の女性が履いていた手作りベルボトムジーンズを売ってみたところ大好評だったのだが手作りなので大量生産が効かず、直接リーバイスに製造を依頼したのが始まりなのだそうだ。
当初はMnasidikaだけの独占販売だったが1969年からはリーバイスが646という型名で一般にも販売するようになっている。
(詳しくはリーバイスのサイトで)
ジミヘンが履いていたベルボトムジーンズもこの時期にMnasidikaで買ったものだそうだ。
ジャニスが亡くなる前夜も一緒のモーテルに泊まっていたこと、当時は相当なジャンキーだったことでジャニスの死にも責任があるようなことになり、その後のペギーの人生は紆余曲折があったようである。
なお、ペギーは亡くなったばかりのジャニスの遺体を見てこれはオーバードースではない、転倒したことによる事故死だろうと言っている。
それにしてもヘイト・アシュベリーの隠れた立役者がベルボトムの創始者だったり、その人物がジャニスの親友でしかも亡くなった場に居た人物だったとは。半世紀過ぎて知らなかった事実がどんどん出てくるものだ。
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