60年代末から70年代初めにかけて5枚のアルバムを残しているバンド「Fanny(ファニー)」。当時的にはさしたるヒットもなく解散している。それでも ”All Mine” とか聴けば、あぁあれかと思い出す人も多い。
当時女性とロックとの絡みというと、ジャニスやグレース・スリックのようにバンドのボーカルを担当することが多く、ベルベッツのモー・タッカーやスライのとこのローズとシンシア・ロビンソンみたいなのはとても珍しかった。
そんな時代に全員(G/B/Key/Ds)が女性というFannyはそれだけでも話題だった。
結局1974年の「Rock and Roll Survivors」を最後に解散しメンバーは散って行くわけだが、彼女たちの遺伝子はずっとアメリカのロックの歴史に刻まれていくことになる。
中心人物はJuneとJeanのMillington姉妹(ジューン・ミリントンとジーン・ミリントン)。
二人とも60年代初頭のフィリピンからの移民である。
Juneの書く曲はポップなものが多く、ずっとこの路線で行けばパワーポップとしてもっと売れたのにと思うが、Fannyにはニッキー・バークレイ(Nickey Barclay)というキーボードがいて彼女を曲を書く。アルバムの半分以上はニッキーの曲なんだが、この人の曲はあまりにありきたりでFannyを聴いていてつい針を上げたくなるのはたいていニッキーの時。
ありがちな、才能は無いけど音楽的素養があるキーボードが実権を握ってしまうバンドのパターン。
Juneは性的にはLGBTで、Fanny解散後はJeanとのバンドを続けながらLGBTの支援、女性ミュージシャンへの支援などの活動を行っいて業界でリスペクトを受ける存在になっている。
女性ギタリストのドキュメンタリー「She Rocks」にも登場している。
またラマタム(Ramtam)の”女性”リード・ギタリスト エイプリル・ロートン(April Lawton)とも付き合いがあり、エイプリル・ロートンがトランスジェンダー(出生時の性別は男)だということを明かしたこともある。
妹のJeanはJuneとのユニット以外には目立った音楽活動はないみたいだが、最初の夫がアール・スリック(Earl Slick)である。
デヴィッド・ボウイの「Young Americans」で注目され80年代はかなり引き手数多だったギタリストで元ストレイ・キャッツの2人組んだバンドの ”My Mistake” は日本でもブリジストンのCMに採用されちょっと話題になったことがある。
Fannyは4枚目のアルバム「Mother’s Pride」をトッド・ラングレンがプロデュースするがこれも商業的には成功せず、JuneとJeanのミリントン姉妹はFannyを抜け、代わりに呼ばれたのがパティ・クアトロ。
あのスージー・クアトロのお姉さんである。
そして5枚目のアルバム「Rock and Roll Survivors」だが日本でもけっこうプロモーションされたけど結局これも成功せず。だって才能のあるミリントン姉妹が抜けて才能のない人たちで作ったアルバムなので。
5枚目のアルバム制作時のメンバーは、そのパティ・クワトロ。
1948年生まれなので、1950年生まれのスージーより2歳年上だ。
そしてパティ・クアトロはツィン・ピークスのオードリー・ホーン役で有名なシェリリン・フェンの叔母にあたる。なので、もしかしていたらデヴィッド・リンチの親類になっていたかもしれない。
このアルバムでのドラマーはBrie Brandt (ブリー・ブラント)。その時既にBrandi Brandt(ブランディ・ブラント)という幼い娘がいたのだが、その娘は大きくなってからLAガンズ/モトリー・クルーのニッキー・シックスと結婚することになる。なんとあのニッキーのお義母さん!
またこのアルバムにセッションミュージシャンとして参加していたJames Newton Howardと出合ってすぐに結婚している。映画音楽の世界で今や大御所のニュートン・ハワードの元妻という訳だ。
「Rock and Roll Survivors」中のボウイのことを歌った ”Butter Boy” がヒットしたので急遽メンバーをかき集めて ”Fanny” 名義でツアーを行っている。この時に呼ばれた一人がWendy Haasという、ラテンロックバンドの「アステカ(Azteca)」のメンバーだった人だが、この人は俳優でもありオールタイムミュージックでもあるマーティン・マル(Martin Mull)の奥さんである。
とにかく思わぬ人が次々と出てくるFanny周辺である。
コメント
興味深い人脈ですね