The Velvet Undergroundのデビューアルバム「The Velvet Underground & Nico」がリリースされたのは1967年だが、録音は1966年の4月か5月にはベイシックな部分は終わっていた。
その1966年当時のヴェルベッツのライブはアンディ・ウォーホルのマルチメディアショー「Exploding Plastic Inevitable」(略称EPI)の一部として行われていた。
ニューヨークでEPIが大成功を収めたので、次にカリフォリニアでもEPIのショーを開催したそうだが脳天気なカリフォリニアのヒッピーたちには全然受けず。
さらに続いてシカゴの 「Poor Richard’s」というライブハウスでも一週間に渡ってEPIを開催したのだが、ここで問題が発生。
ルー・リードは肝炎でマンハッタンの病院に入院、ニコはリハーサルには来たけどショーには姿を現さなかったらしい。
要するにデビュー時のキーメンバー2名が不在でシカゴでのライブをこなさなければならなくなった。
EPIの重要なパーツであるベルベッツ抜きではEPIを行えないので、
・ジョン・ケイルがリードボーカルも担当
・オリジナルのドラマー Angus MacLiseを呼び戻す
・スターリング・モリソンも何曲かでボーカルを担当
・モー・タッカーがベースやギターも弾く
という布陣でシカゴでのショーを行ったそうだ。
その時の音がこれ。
Venus in Furs
たしかにジョン・ケイルが歌ってる。
Heroin
このボーカルはジョン・ケイルではなくてスターリング・モリソンかな。
またAngus MacLiseはバンドに戻りたい意向を持っていたらしいが、ルー・リードは彼に対して頭に来ていたようで ”これは一時的なもの、バンドには戻れないからな” と告げた上での参加だったそうだ。
もうこの時点でニコは存在自体が不安定、ジョン・ケイルはたぶん一人でもやれる自信を深めただろうし、デビューアルバム発売前から先行きが思いやられる状態だったように思える。
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