Billy Elliot


もうすっかり大人のジェイミー・ベル君の出世作(というかデビュー作)「リトル・ダンサー」。当時は子供のダンス映画〜? とバカにしつつ観に行ったのだけど、観たら納得。今なお語り継がれる傑作です。

一般的には「青春映画」、子供がその輝かしい未来への扉を開くという映画なんだけど、僕的には音楽と時代背景が自分自身の若いころとダブってしまい、灌漑深いものがあります。

まず音楽が最高。メインでフィーチャーされているのがT・レックス! 時代背景は1984年頃の英国の炭坑ストなので、実はT・レックスとはちょっと違うんだけど。

だっていきなり「Cosmic Dancer」で始まるんですよ、この映画。それ以外にも「Get It On」とか「Children Of The Revolution」、それに「Ride A White Swan」といった曲が、場面にぴったりはまって選曲されているだもの。

時代背景とシンクロする選曲としては、ジャム(体育の授業をサボるシーン、落書きに「JAM」と書いてあって苦笑)にスタイル・カウンシル、それにクラッシュなども。要するにあの時代の英国労働者階級の匂いをぷんぷんさせる選曲なんですよ。

特にビリーが文字どおり地団駄踏むシーンでJamの「悪意の街(Town Called Malice)」とかはほんと、すばらしい選曲。
もちろんこのシーン、ビリーがどうにもならぬ自分の感情を爆発させるシーンでして、その方向がダンス。自分の未来を選択して行こうとする少年が様々なしがらみなど思うように行かぬ自分の心象風景を映像化したものとしては最高の部類に入ると思います。

それと時代背景。サッチャー政権の規制緩和、構造改革(←最近どこかの国でも頻繁に耳にする言葉)の象徴として、狙い撃ちにされた英国南部の石炭蚕業。炭坑の閉鎖などに対抗して炭鉱夫が大々的なストをうち、それに対して国内が二分されちゃったんですよ。日本の普通の人はどうだったか判らないけど、当時の NW系英国ロックを聴いていた人にはかなり身近な話題だったはず。

そんな時代に炭鉱夫側の立場で発言し行動し続けたジャム(=ポール・ウェラー)やクラッシュの曲が使われているのは、この映画の作り手側の思いがどこにあるか、一目瞭然です。

そのような時代背景を重ねることによって、単なる成長物語りではなく、消え去って行く者(ビリーのお父さんに代表されるオールド・エコノミーの人たち)とこれから未来へ進んで行く者の交叉、父を乗り越える少年の成長といった、重層的なテーマ展開がこの映画の真骨頂です。

 「おれ達(炭鉱夫)はもうだめだ。でもビリーには未来がある」。ビリーのオーディション費用をねん出するためスト破りをしようとするお父さんのこの言葉、小泉内閣が発していたメッセージそのまんまではないですか。でも、小泉さん熱狂していたおばちゃんおじさんたち、その意味するもののヘビーさシリアスさを自分で受け止める覚悟は出来ていなかったということですよね。
非常に近い将来、このリトル・ダンサーと同じような映画が日本でも作られるのだろうと思います。いや表現者としては作らなければならないでしょう。


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