1967年 ブライアン・イーノ 19歳

ロビン・ヒッチコックがブライアン・イーノを回想するという記事を見つけて思わず読み入ってしまった。

イーノはRoxy Musicからずっとだから45年、ロビン・ヒッチコックはSoft Boysからだから38年。前者はプロト・パンクな、後者はポスト・パンクなミュージシャンとしてずっと聴き続けている。


そんな2人が意外な時に意外な出会いをしていたことが判り、ロビン・ヒッチコックの回想でイーノがどこから出てきた人間なのか垣間見ることができた。


ロビン・ヒッチコックがブライアン・イーノに出会ったのは1967年の6月。
イーノは19才のアートスクールの学生、ロビン・ヒッチコックは14歳だから多分ませた中学生。

イーノが主催する音楽イベントにヒッチコックが参加したそうである。

その時様子は
14th-century flint-walled cellar – essentially a dungeon with electricity. He had unscrewed the college’s 60-watt light bulb and inserted his own blue bulb. A reel-to-reel tape recorder stood on a bare table beneath the light, playing Dylan’s “Ballad of Hollis Brown” backwards, while somebody I didn’t recognize was bowing a one-string violin. A microphone ran from the tape machine into the audience

14世紀の建物の地下室、オープンリールのテープレコーダーからはディランの曲が逆回転で流され、知らないやつが弦が一本のヴァイオリンを弾いている・・・

なんか刺激的なんだかイカれているのかという世界。
でもイーノが居た頃のRoxy Musicにも通じる世界観でもある。

パフォーマンスが終わった後のイーノとロビンのやり取りも面白い。
痛いところを突かれたなイーノ。

自分も何か困ったら ’Next Question?" で乗り切ろうと思う。


話はさらに続き、その音楽イベントの翌週。
この週はビートルズの「サージェント・パペーズ」がリリースされた週なので、それは忘れようとしも忘れられない週だと思う。

ロビン少年、今度はイーノの ”Happenings” に参加。

このイベントではカードにメッセージを書いて風船で飛ばすというもの。
なんだかその頃のオノ・ヨーコもやりそうなイベントである。

この時ロビンが書いたメッセージは
“Dear Granny, sorry I couldn’t come to your funeral – love, Robyn.”

2週間前に亡くなった祖母に対してのメッセージだそうだ。

Roxy以前のイーノの活動はよく分かっていないが、学生時代からテープレコーダーなど電子機器を使った音楽を指向していたんだなとか、パフォーミング・アートの方向はどうしたんだろうとか考えさせられるものである。

なお、オリジナルの記事はイーノの伝記「On Some Faraway Beach: The Life and Times of Brian Eno」から引用している。

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